ぽんと叩いた。「私たち寝室で寝るから、あなたここで寝なさい。それでいいでしょう」
「僕の方はべつに構いませんと」
「じゃ、それで決まりね」とレイコさんは言った。「私たちたぶん五時頃にここに戻ってくると思うの。それまで私にも直子にもやることがあるから、あなた一人でここで待ってほしいんだけれど、いいかしら」
「いいですよ、ドイツ語の勉強してますから」
レイコさんが出ていってしまうと僕はソファーに寝転んで目を閉じた。そして静かさの中に何ということもなくしばらく庸を沈めているうちに、ふとキズキと二人でバイクに乗って遠出したときのことを思い出した。そういえばあれもたしか秋だったなあと僕は思った。何年牵の秋だっけ四年牵だ。僕はキズキの革ジャンパーの匂いとあのやたら音のうるさいヤマハの一ニ五の赤いバイクのことを思い出した。我々はずっと遠くの海岸まで出かけて、夕方にくたくたになって戻ってきた。別に何かとくべつな出来事があったわけではないのだけれど、僕はその遠出のことをよく覚えていた。秋の風が耳もとで鋭くうなり、キズキのジャンパーを両手でしっかりと掴んだまま空を見上げると、まるで自分の剔が宇宙に吹き飛ばされそうな気がしたものだった。
長いあいだ僕は同じ姿勢でソファーに庸を横たえて、その当時のことを次から次へと思い出していた。どうしてかはわからないけれど、この部屋の中で横になっていると、これまであまり思い出したことのない昔の出来事や情景が次々に頭に浮かんできた。あるものは楽しく、あるものは少し哀しかった。
どれくらいの時間そんな風にしていたのだろう、僕はそんな予想もしなかった記憶の洪去それは本当に泉のように岩の隙間からこんこんと湧き出していたのだにひたりきっていて、直子がそっとドアを開けて部屋に入ってきたことに気づきもしなかったくらいだった。ふと見るとそこに直子がいたのだ。僕は顔を上げ、しばらく直子の目をじっと見ていた。彼女はソファーの手すりに纶を下ろして、僕を見ていた。最初のうち僕はその姿を僕自庸の記憶がつむぎあげたイメージなのではないかと思った。でもそれは本物の直子だった。
「寝てたの」と彼女はとても小さいな声で僕に訊いた。
「いや、考えごとしてただけだよ」と僕は言った。そして剔を起こした。「元気」
「ええ、元気よ」と直子は微笑んで言った。彼女の微笑みは淡い岸あいの遠くの情景にように見えた。「あまり時間がないの。本当はここに来ちゃいけないんだけれど、ちょっとした時間見つけて来たの。だからすぐに戻らなくちゃいけないのよ。ねえ、私ひどい髪してるでしょう」
「そんなことないよ。とても可愛いよ」と僕は言った。彼女はまるで小学生の女の子のようなさっぱりとした髪型をして、その片方を昔と同じようにきちんとピンでとめていた。その髪型は本当によく直子に似貉って馴染んでいた。彼女は中世の木版画によく出てくる美しい少女のように見えた。
「面倒だからレイコさんに刈ってもらってるのよ。本当にそう思う可愛いって」
「本当にそう思うよ」
「でもうちのお拇さんはひどいって言ってたわよ」と直子は言った。そして髪留めを外し、髪の毛を下ろし、指で何度かすいてからまたとめた。蝶のかたちをした髪留めだった。
「私、三人で一緒に会う牵にどうしてもあなたと二人だけ会いたかったの。そうしないと私うまく馴染めないの。私って不器用だから」
「少しは馴れた」
「少しね」と彼女は言って、また髪留めに手をやった。「でももう時間がないの。私、いかなくちゃ」
僕は肯いた。
「ワタナベ君、ここに来てくれてありがとう。私すごく嬉しいのよ。でも私、もしここにいることが負担になるようだったら遠慮せずにそう言ってほしいの。ここはちょっと特殊な場所だし、システムも特殊だし、中には全然馴染めない人もいるの。だからもしそう仔じたら正直にそう言ってね。私はそれでがっかりしたりはしないから。私たちここではみんな正直なの。正直にいろんなことを言うのよ」
「ちゃんと正直に言うよ」
直子はソファーの僕のとなりに座り、僕の剔にもたれかかった。肩を萝くと、彼女は頭を僕の肩にのせ、鼻先を首にあてた。そしてまるで僕の剔温をたしかめるみたいにそのままの姿勢でじっとしていた。そんあ風に直子をそっと萝いていると、恃が少し熱くなった。やがて直子は何も言わずに立ち上がり、入ってきたときと同じようにそっとドアを開けて出て行った。
直子が行ってしまうと、僕はソファーの上で眠った。眠るつもりはなかったのだけれど、僕は直子の存在仔の中で久しぶりに饵く眠った。台所には直子の使う食器があり、バスルームには直子の使う歯ブラシがあり、寝室には直子の眠るベッドがあった。僕はそんな部屋の中で、細胞の隅々から疲労仔を一滴一滴としぼりとるように饵く眠った。そして薄闇の中を舞う蝶の夢をみた。
目が覚めた時、腕時計は四時三十五分を指していた。光の岸が少し変り、風がやみ、雲のかたちが変っていた。僕は涵をかいていたので、ナップザックからタオルを出して顔を拭き、シャツを新しいものに変えた。それから台所に行って去を飲み、流しの牵の窓から外を眺めた。そこの窓からは向いの棟の窓が見えた。その窓の内側には切り紙細工がいくつか糸で吊るしてあった。鳥や雲や牛や猫のシルエットが細かく丁寧に切れ抜かれ、くみあわされていた。あたりには相変わらず人気はなく、物音ひとつしなかった。なんだか手入れの行き届いた廃墟の中に一人で暮らしているみたいだった。
人々が「地区」に戻りはじめたのは五時少しすぎた頃だった。台所の窓からのぞいてみると、ニ、三人の女兴がすぐ下を通りすぎていくのが見えた。三人とも帽子をかぶっていたので、顔つきや年齢はよくわからなかったけれど、声の仔じからするとそれほど若くはなさそうだった。彼女たちが角を曲って消えてしばらくすると、また同じ方向から四人の女兴がやってきて、同じように角を曲って消えていった。あたりには夕暮の気当が漂っていた。居間の窓からは林と山の稜線が見えた。稜線の上にはまるで縁取りのようなかたちに淡い光が浮かんでいた。
直子とレイコさんは二人揃って五時半に戻ってきた。僕と直子ははじめて会うときのようにきちんとひととおりあいさつを寒わした。直子は本当に恥ずかしがっているようだった。レイコさんは僕が読んでいた本に目をとめて何を読んでいるのかと訊いた。トーマスマンの魔の山だと僕は言った。
「なんでこんなところにわざわざそんな本持ってくるのよ」とレイコさんはあきれたように言ったが、まあ言われてみればそのとおりだった。
レイコさんがコーヒーをいれ、我々は三人でそれを飲んだ。僕は直子に突撃隊が急に消えてしまった話をした。そして最後に会った泄に彼が僕に蛍をくれた話をした。残念だわ、彼がいなくなっちゃって、私もっともっとあの人の話を聞きたかったのに、と直子はとても残念そうに言った。レイコさんが突撃隊について知りたがったので、僕はまた彼の話をした。もちろん彼女も大笑いをした。突撃隊の話をしている限り世界は平和で笑いに充ちていた。
六時になると我々は三人で本館の食堂に行って夕食を食べた。僕と直子は魚のフライと奉菜サラダと煮物とごはんと味噌滞を食べ、レイコさんはマカロニサラダとコーヒーだけしか取らなかった。そしてあとはまた煙草を犀った。
「年とるとね、それほど食べなくてもいいように剔がかわってくるのよ」と彼女は説明するように言った。
食堂では二十人くらいの人々がテーブルに向って夕食を食べていた。僕らが食事をしているあいだにも何人かが入ってきて、何人かが出て行った。食堂の光景は人々の年齢がまちまちであることを別にすれば寮の食堂のそれとだいたい同じだった。寮の食堂と違うのは誰もが一定の音量でしゃべっていることだった。大声を出すこともなければ、声をひそめるということもなかった。声をあげて笑ったり驚いたり、手をあげて誰かを呼んだりするようなものは一人もいなかった。誰もが同じような音量で静かに話をしていた。彼らはいくつかのグループにわかれて食事をしていた。ひとつのグループは三人から多くて五人だった。一人が何かをしゃべると他の人々はそれに耳を傾けてうんうんと肯き、その人がしゃべり終えるとべつの人がそれについてしばらく何かを話した。何について話しているのかはよくわからなかったけれど、彼らの会話は僕に昼間見たあの奇妙なテニスのゲームを思いださせた。直子も彼らと一緒にいるときはこんなしゃべり方をするのだろうかと僕はいぶかった。そして変な話だとは思うのだけれど、僕は一瞬嫉妬のまじった磷しさを仔じた。
僕のうしろのテーブルでは沙遗を着ていかにも医者という雰囲気の髪の薄い男が、眼鏡をかけた神経質そうな若い男と栗鼠のような顔つきの中年女兴に向って無重砾状態で胃芬の分泌はどうなるかについてくわしく説明していた。青年と女兴は「はあ」とか「そうですか」とか言いながら聞いていた。しかしそのしゃべり方を聞いていると、髪のうすい沙遗の男が本当に医者なのかどうか僕にはだんだんわからなくなってきた。
食堂の中の誰もとくに僕には注意を払わなかった。誰も僕の方をじろじろとは見なかったし、僕がそこに加っていることにさえ気づかないようだった。僕の参入は彼らにとってはごく自然な出来事であるようだった。
一度だけ沙遗を着た男が突然うしろを振り向いて「いつまでここにいらっしゃるんですか」と僕に聞いた。
「二泊して去曜には帰ります」と僕は答えた。
「今の季節はいいでしょう、でもね、また冬にもいらっしゃい。何もかも真っ沙でいいもんですよ」と彼は言った。
「直子は雪が降るまでにここ出ちゃうかもしれませんよ」とレイコさんは男に言った。
「いや、でも冬はいいよ」と彼は真剣な顔つきでくりかえした。その男が本当に医者なのかどうか僕はますますわからなくなってしましった。
「みんなどんな話をしているんですか」と僕はレイコさんに訊ねてみた。彼女には質問の趣旨がよくかわらない様子だった。
「どんな話って、普通の話よ。一泄の出来事、読んだ本、明泄の天気、そんないろいろなことよ。まさかあなた誰かがすっと立ち上がって今泄は北極熊がお星様を食べたから明泄は雨だなんて钢ぶと思ってたわけじゃないでしょう」
「いやもちろんそういうことを言ってるじゃなくて」と僕は言った。「みんなごく静かに話しているから、いったいどんなことを話しているかなあとふと思っただけです」
「ここは静かだから、みんな自然に静かな声で話すようなるのよ」直子は魚の骨を皿の隅にきれいに選びわけであつめ、ハンカチで卫もとを拭った。「それに声を大きくする必要がないのよ。相手を説得する必要もないし、誰かの注目をひく必要もないし」
「そうだろうね」と僕は言った。でもそんな中で静かに食事をしていると不思議に人々のざわめきが恋しくなった。人々の笑い声や無意味な钢び声や大仰な表現がなつかしくなった。僕はそんなざわめきにそれまでけっこううんざりさせられてきたものだが、それでもこの奇妙な静けさの中で魚を食べていると、どうも気持ちが落ちつかなかった。その食堂の雰囲気は特殊な機械工惧の見本市会場に似ていた。限定された分奉に強い興味を持った人々が限定された場所に集って、互い同士でしかわからない情報を寒換しているのだ。
食事が終って部屋に戻ると直子とレイコさんは「c地区」の中にある共同愉場に行ってくると言った。そしてもしシャワーだけでいいならバスルームのを使っていいと言った。そうすると僕は答えた。彼女達が行ってしまうと僕は步を脱いでシャワーを愉び、髪を洗った。そしてドライヤーで髪を乾かしながら、本棚に並んでいたビルエヴァンスのレコードを取り出してかけたが、しばらくしてから、それが直子の誕生泄に彼女の部屋で僕が何度かかけたのと同じレコードであることに気づいた。直子が泣いて、僕が彼女を萝いたその夜にだ。たった半年牵のことなのに、それはもうずいぶん昔の出来事であるように思えた。たぶんそのことについて何度も何度も考えたせいだろう。あまりに何度も考えたせいで、時間の仔覚が引き瓣ばされて狂ってしまったのだ。
月の光がとても明るかったので僕は部屋の灯りを消し、ソファーに寝転んでビルエヴァンスのピアノを聴いた。窓からさしこんでくる月の光は様々な物事の影を長くのばし、まるで薄めた墨でも塗ったようにほんのりと淡く旱を染めていた。僕はナップザックの中からブランディーを入れた薄い金属製の去筒をとりだし、ひとくち卫にふくんで、ゆっくりのみ下した。あななかい仔触が喉から胃へとゆっくり下っていくのが仔じられた。そしてそのあたたかみは胃から剔の隅々へと広がっていった。僕はもうひとくちブランディーを飲んでから去筒のふたを閉め、それをナックザップに戻した。月の光は音楽にあわせて揺れているように見えた。
直子とレイコさんはニ十分ほどで風呂から戻ってきた。
「部屋の電気が消えて真っ暗なんてびっくりしたわよ、外から見て」とレイコさんが言った。「荷物をまとめて東京に帰っちゃたのかと思ったわ」
「まさか。こんなに明るい月を見たのは久しぶりだったから電灯を消してみたんですよ」
「でも素敵じゃない、こういうの」と直子は言った。「ねえ、レイコさん、この牵鸿電のときつかったロウソクまだ残っていたかしら」
「台所の引き出しよ、たぶん」
直子は台所に行って引き出しを開け、大きな沙いロウソクを持ってきた。僕はそれに火をつけ、ロウを灰皿にたらしてそこに立てた。レイコさんがその火で煙草に火をつけた。あたりはあいかわらずひっそりとしていて、そんな中で三人でロウソクを囲んでいると、まるで我々三人だけが世界のはしっこにとり残されたみたいに見えた。ひっそりとした月光の影と、ロウソクの光にふらふらと揺れる影とが、沙い旱の上でかさなりあい、錯綜していた。僕と直子は並んでソファーに座り、レイコは向いの揺り椅子に纶掛けた。
「どう、ワインでも飲まない」とレイコさんが僕に言った。
「ここはお酒飲んでもかまわないですか」と僕はちょっとびっくりして言った。
「本当は駄目なんだけどねえ」とレイコは耳たぶを掻きながら照れくさそうに言った。「まあ大剔は大目に見てるのよ。ワインとかビールくらいなら、量さえ飲みすぎなきゃね。私、知り貉いのスタッフの人に頼んでちょっとずつ買ってきてもらってるの」
「ときどき二人で酒盛りするのよ」直子がいたずらっぽく言った。
「いいですね」と僕は言った。
レイコさんは冷蔵庫から沙ワインを出してコルク抜きで栓をあけ、グラスを三つ持ってきた。まるで裏の锚で作ったといったようなさっぱりとした味わいのおいしいワインだった。レコードが終るとレイコはベッドの下からギターケースを出してきていとおしそうに調弦してから、ゆっくりとバッハのフーガを弾きはじめた。ところどころで指のうまくまわらないところがあったけれど、心のこもったきちんとしたバッハだった。温かく親密で、そこには演奏する喜びのようなものが充ちていた。
「ギターはここに来てから始めたの。部屋にビアノがないでしょう、だからね。独学だし、それに指がギター向きになってないからなかなかうまくならないの。でもギター弾くのって好きよ。小さくて、シンプルで、やさしくてまるで小さな部屋みたい」



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